入院していた時の体験談

これは私が25年前に大阪市の病院に入院していた時の体験談です。

当時私は大学の硬式野球のサークルに所属していて、その日は大阪市で練習試合があり参加していました。

試合中にレフトを守っていて、打球が飛んできたので取ろうと一歩踏み出した時に左足首に激痛が走り、そのままその場に倒れ込んでしまいました。

どうやらアキレス腱が切れているみたいという事で、近くの施設から車いすを借りてたまたまグラウンドの近くにあった総合病院に行ったのですが、ベッドが空いてないという事で他の所に行くことになったのです。

少し離れた所にあるその病院は整形外科の個人病院で、いかにも古そうな感じでした。

その日はすでに夕方で遅かったので検査だけをして、翌日にはすぐに手術をすることになり、その手術も滞りなく終わり病室に戻りました。

バタバタしていて部屋をゆっくり見る余裕が無かったのですが、手術が終わり改めて部屋を見ると、病室は私と80代のおじいさんの二人きり。

特にそのおじいさんと会話する事も無く、病室にはテレビも何もなかったので暇で暇で仕方ありません。

しかも小さな個人病院なので売店なども無く、雑誌を読んだりすることもできずに毎日が暇すぎて苦痛でした。

昼間は寝ているおじいさんですが、夜中になると起き出してせんべいをバリバリ食べる音で眠れず、昼間は病院の外壁工事の音でうるさくて散々でした。

今では考えられない事ですが当時は今ほど厳しくなかったにしても、その病院では病室でタバコを吸うのが許されているらしく、おじいさんは自分のベッドでタバコをプカプカふかしてくつろいでいるのです。

あまりの院内環境の悪さと、周りに何もなく暇すぎることで少しでも早くここから抜け出したかった私は、試験が近いという理由で何とか大学の近くの病院に転院させてもらうことが出来ました。

今では考えられないほどの散々な経験をしましたが、今となってはいい思い出というか、話のネタになっています。

受診理由は、関節痛や倦怠感

大阪の芸能人がよく利用していることでも有名な、大阪市北区の北野病院を受診しました。

「ものすごく待つよ。

一日仕事になるよ」と近所の開業医から聞いていましたが、多くの患者さんが通院しているということは、良い病院だからだろうと期待して行きました。

受診理由は、関節痛や倦怠感です。

近所の開業医は膠原病を疑い、「専門医に診てもらった方が良い」と、膠原病科へ紹介状を貰って3か月待ちで受診しました。

朝食抜きで11時の予約でしたが、診察室に呼ばれたのは16時半でした。

医師は名札にレジデントと書いてあったので、まだ専門医ではないようです。

見た目は28歳くらいの、個人的な印象ですがチャライ感じの医師でした。

「とりあえず検査しましょう」という感じで、問診票だけ見て私に指一本触れることなく、採血と関節エコーの指示が出ました。

採血はその後すぐにできて、17時過ぎに病院を出ました。

関節エコーは1週間後でした。

1週間後にエコーを行い、さらに1週間後に検査結果を聞きました。

今度も4時間ほど待ちました。

またまた検査結果だけを見て、「様子を見ましょう」でした。

その後、ネットで見つけた大阪市中央区の膠原病専門のクリニックへ行きました。

問診票だけではなくいろいろと聞かれました。

関節の触診や爪を拡大鏡で見たり、聴診等された後、口の中を見せてと言われて「あーん」をすると、「パンやビスケットを食べる時に、飲み物がないと食べにくくない?」と聞かれました。

そう言えばと思い、「いつも、飲み物と一緒です」と答えました。

これが大きな決め手だったようです。

北野病院の問診票の「口が渇きますか」という問いには、自覚がなかったので「いいえ」に丸を付けたのですが、北野病院のレジデント医師も、口の中を見ていたら気づいたかもしれません。

問診票だけで診断しようとしたので気づかなかったのでしょう。

しかし、問診票で診断できるのなら医師は不要です。

コンピューターでOKです。

その後、クリニックの先生が非常勤で外来を担当されている医大で生検などの詳しい検査をして、シェーグレン症候群と診断されました。

現在は服薬治療で、症状は落ち着いています。

血液内科を受診

大阪市立総合医療センターの血液内科を受診しました。

受診理由は、赤血球数が544万、ヘモグロビンが16.3、といずれも基準値よりも多い数値が出ていて、「真性赤血病だったら早く治療する必要がある」と心配だったからです。

真性赤血病と言うのは、白血病の赤血球版だと思うと良いでしょう。

病院へ着くと診察の進行状況を示すディスプレーがあり、診察室に入っている人が、何時の予約だったのか判るようになっていました。

このディスプレーはコンビニの横や院内のカフェの中にも設置してあって、コンビニやカフェでも診察の進行状況を確認しながら待つことができます。

これは良いシステムだと思いました。

私が受診した血液内科は、10時30分の時点で9時台に予約の人を診察中という状況でした。

私は10時30分の予約でしたが、12時前に中待合に呼ばれました。

あと数人です。

診察室の中から医療秘書と思われる女性が出てきて、私の隣で待っていた60歳くらいの男性が入っていきました。

そして1分も経たないうちにその男性が診察室から出てきました。

「えっ?もう終わったの?」とびっくりしていると、その男性が「座る暇もなかったわ。

異常ないです、薬出しておきますで終わりや」と怒っていました。

「いくら診察が混み合っているからとは言え、1分弱はないわ。

こんな診察だったら、コンピュータでできるわ」と思いました。

私が同様に医療秘書に呼ばれました。

初診なのでフルネームを名乗り「よろしくお願いします」と挨拶をしましたが、医師からの挨拶はありませんでした。

そして医師が「紹介状を見ましたが、真性赤血病の診断基準は女性の場合、ヘモグロビンが16.5以上です。

ヘモグロビンが16.5以上になったら、また来て。

紹介してくれた先生に返事を書くから、前で待ってて」と言われて終わりでした。

1分弱でした。

真性赤血病ではないにしろ、ヘモグロビンが増えている原因は何なのかなど、聞きたいこともあったのですが、医療秘書の女性に「前でお待ちください」と促されて、退室しました。

もう帰宅するまで、開いた口が塞がりませんでした。

本当によかった

私は子供の頃に虐められたことがトラウマになってしまい、社会人になってからも人と上手く接することができずに苦労していました。

このことに関して友人に相談したら嫌なことの一つや二つは誰にでもあるから気にしない方が良いとアドバイスをしてもらったのですが、この苦しみを解決することができないためにお酒に走るようになって行きました。

そして気が付いたらアルコール中毒寸前の状態になってしまい、周りの人達に散々迷惑をかけてしまいました。

このままでは本当に行けないと思い私はインターネットで調べて東京にある病院の精神科で診てもらうことにしたのですが、口下手な私は先生に上手く説明することができるか不安でした。

ただ家で悩んでいても仕方がないと思い電話で予約をして病院に行ったのですが、精神科の先生は私みたいな人間を扱うのに慣れているらしく直ぐに私が言いたいことを理解してもらうことができました。

そして私の気持ちをよく理解してくれたので本当に助かったと思ったのですが、先生はお酒を止めないと大変なことになるので強い意志を持つようにと少し厳しめに私に言いました。

私は先生の言いたいことが直ぐに理解出来たのでお酒を止める努力をしたのですが、なかなか止めることができずに苦労しました。

先生はこれでは行けないので一週間程入院をすることを提案してきたので、私もそれを受け入れて少しの間病院に入院をしました。

精神科の病棟はあまり居心地の良いところではなかったのですが、一週間規則正しい生活を送ったおかげで大分調子が良くなりました。

そして退院後はお酒を飲まないでも済むようになったのですが、それでも精神的な辛さは治らないので今は二週間に一回カウンセリングを受けて帰りに薬をもらってそれを毎日飲むと言う生活を送っています。

そのおかげで精神的にも肉体的にも大分良くなったので、私は東京にある病院の精神科に通って本当に良かったと思っています。

最後の砦と思っていました

私が東京にある病院の精神科を受診したきっかけは、突然何とも言えない不安感に襲われ、冷汗やめまいなどの発作が出るようになった事です。

最初は体のどこかが悪いのかな?と思い、内科や脳神経外科を受診して検査を受けましたが、異常は見られませんでした。

悪い所が無くて良かったと安心した半面、やはり原因不明の体調不良は続きます。

次第に密室が苦手になり、毎日の通勤電車が悩みの種となりました。

電車に乗り込んでドアが閉まると、急に胸がドキドキして冷や汗が出てくるのです。

さらにクラクラと眩暈がして立っていられないため、停車駅で下車してしばらく休憩しなければいけません。

そんな事を繰り返す訳ですから、当然会社にも遅刻してしまい、たくさんの人に迷惑をかけていました。

母にその状況を話すと、「それは精神的なものじゃないの?」と精神科へ行く事を勧められました。

正直なところ、精神科を受診するのは特別な人といったイメージを持っていたため、自分が受診しなければいけないのはショックでした。

なるべく人に知られたくない、見られたくないという思いが強く、なるべく自宅や会社から離れた病院を探しました。

殺伐とした殺風景な病院だろうなと思っていましたが、普通の自宅のような、アットホームな雰囲気の建物でした。

中に入ると静かな音楽が流れており、ほんのりと優しい香りに気持ちが落ち着きました。

完全予約制で他の患者さんと遭遇する事のないよう配慮されていたのも良かったです。

医師は穏やかで話がしやすそうな雰囲気の方でした。

症状を説明すると、「それはパニック障害の可能性もある」と言われ、「この病気は焦ってはダメですよ。焦る事なく自分のペースで治療していきましょう。」と教えてもらいました。

服薬治療がメインですが、最初は副作用に苦しみましたが、今はその薬にも体が慣れて落ち着いてきました。

まだ完治はしていませんが、いつも「焦らないで良いからね」という言葉をかけてもらっているので、以前より確実に体の調子は良くなっています。

パニック障害についてだけではなく、日常のいろいろな愚痴を聞いてもらい、本当に信頼出来るお医者さんです。

当時29歳だった私は、学校で働いていました

2年ほど前に、夜なかなか眠ることができず、日中も心が落ち着かないということがありました。

自分なりにその原因を考えてみたところ、その頃会社で人事異動があり、大幅な異動が発表されました。

私自身に異動はありませんでしたが、配属していたセクション内は慌ただしい雰囲気にあふれていて、落ち着かない毎日を送らなければなりませんでした。

今まで通りの業務に加えて、新しく配属された人に仕事を教えるという業務が追加され、忙しさのため連日残業が発生していました。

人が変わることで、セクション内の雰囲気は以前とは変わってしまい、決して悪い雰囲気になったわけではありませんが、それでも慣れ親しんだ雰囲気から遠ざかってしまったことに、私は少なからず動揺していたのかもしれません。

まだ信頼関係が築けていない人たちとの仕事で、知らず知らずの内に神経をすり減らせてしまったのかもしれません。

私は自分でも気付かない間に、心のバランスを崩してしまいました。

夜ぐっすりと眠れないことで、なかなか体の疲れがとれず、翌日の仕事に影響するようになりました。

特に午前中は体がだるく、集中力がなくなってしまいました。

初歩的なミスを繰り返すようになってしまい、上司から叱責されてしまいました。

自分でもミスが許せず、上司の信頼を壊してしまったのではないかと不安になり、仕事中に動悸がすることもありました。

そのような状態になるとますます眠れなくなってしまい、すると翌日の仕事に集中できないという悪循環に陥り、このままの状態を見過ごしてはいけないと強く思い、精神科へ行くことを心に決めました。

私はネットの口コミで評価の高い精神科を調べ、東京にあるその病院へ行きました。

女性の医師が担当をしてくれて、私のまとまりのない話を丁寧に聞いてくれました。

現在の仕事の状況をどう感じているのかなど、何を不安に感じているのかを真摯に聞いてくれました。

そして睡眠導入剤を処方してもらい、眠れない悩みから開放されました。

病院のこと

大阪市立医学部付属病院は、電車で行くと天王寺駅からすぐで交通の便が良かったです。

体調が悪く、初めてのところで緊張して余計具合が悪くなりふらふらとしていたら
外来がとてもこんでいたので、発熱でふらふらしていたら看護師さんが声をかけてくれました。

看護師さが大丈夫ですか?と優しい声で言ってくれたので、急に安心してふらふらと倒れこんでしまいました。

目が覚めた時には、小さめのベットで寝ていて、点滴をしていました。

しばらくすると看護師さんと、医師がやってきて、とても丁寧な問診をしてくださいました。

色々話を聞いてくださり、色々これから検査をするといわれ、車いすに乗せて頂きレントゲン、採血を受けました。

検査室はどこも清潔で、検査を始める前もきちんとその意味や、検査の方法をわかりやすく説明してくれました。

検査室も待つことなくスムーズに通れました。

何か不安なことはないか等ちゃんと聞いてくれて、とても良い病院だと思いました。

車いすでずっと一緒にいてくださった介助の方も、とても親切で病院内を移動している中
私が不安にならないように、季節の話をしてくださったり、病院外来の話をしてくださったり
緊張することなく検査は終わりました。

検査結果の医師の説明も、とても分かりやすく、普通の病院では医者に質問するなど緊張してできませんでしたが
この病院の先生は、緊張することなく質問することができました。

点滴が終わるころにはだいぶ良くなり、介助なく歩くことができましたが介助の方は最後まで私に付き添って
くださいました。

会計の際、事務の方の対応も非常に親切でかかった費用の説明もきちんとしていただきました。

お会計の不安もなく、最後まで気持ちよく終わることができました。

病院の中はどこも清潔でお掃除が行き届いており、窓からは光が差し込み、職員のかたは笑顔で対応されており
とても印象のよい病院でした。

外来は広いですがわからないことがあってもパンフレットでちゃんと説明してくれました。

理想を追い求めてしまっていた自分

我が町堺市には、結構大きな病院があり、専門分野に於いても優れています。

ですから、余り堺市以外の病院でお世話になるということはありませんでした。

長男がまだ学生の頃、ほとんど影響のなかった親知らずが痛み出し、日常的にも支障がでるようになりました。

近くの歯医者さんで診てもらうと、息子の親知らずは、斜めに生えていてまだ埋もれている状態でした。

その歯医者さんは口腔外科でしたから、処置して貰えるものだと思っていました。

けれど、どうも手に負えなかったようで、大阪市の、大阪歯科大学附属病院で抜歯することになりました。

先生が、そこの大学の卒業生だからという理由でしたが、もっと近くにあるのに!と思ってしまったのは事実です。

元々お医者さん嫌いの長男は渋っていましたが、先生に放っておくことで、もっと大変になると言われ、覚悟を決めたようです。

天満橋近くにある病院でしたが、付き添いであっても、病院の雰囲気は馴染めないものがありました。

大学生の長男が、中学生の弟に、「兄ちゃん!ビビってるやろ!」と言われていたのを覚えています。

どちらかというと、長男の方が、「何でも来い」というタイプでしたから、こんな弱い部分があったのだと、気づかされた感じがしました。

予約をしていても、大きな病院は、余りスピーディーではありません。

幸い、看護師さんは親切な方で、冗談を交えたりして、長男をリラックスさせてくれていたようです。

麻酔から施術まで、やはり数時間掛かりましたが、無事に抜歯は終わりました。

多分、親知らずを抜くだけで、何で家族総出?と思われたに違いありません。

抜歯と言っても、メスを入れるのですから、心配だったのは確かです。

でも、久しぶりに家族水入らずで、大阪へ出掛けるのが楽しみだったのは、私だけではないと思っています。

大阪に住んでいても、大阪市へ行くのは、年に数度しかないからです。

今でも、長男は病院嫌いですが、家庭を持ったという自覚からか、健康診断は毎年受けているようです。